日本のものづくりを伝える戦略とは。ウォークマン名付け親 河野透氏との対談。

Orbray Future ColumnVol.8

OFFICE KOONOO 河野透氏
代表取締役社長 並木里也子

アダマンド並木精密宝石株式会社は、
2023年1月1日から社名をOrbray株式会社に変更しました。

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Orbray(旧社名:アダマンド並木精密宝石)は、電力メーターの軸受宝石製造に始まり、時計の軸受宝石やレコード針など精密製品を作ってきました。73年、世界最小のコアレスモーターの製造に成功し、79年にソニーが発売したウォークマンに採用されました。そして、そのモーターに「NAMIKI」と刻印されていたことで、分解し中を調べた世界中の技術者が並木を知ることとなったのです。
今回、1968年のソニー入社以来、様々なプロダクトのコミュニケーション戦略を手掛け、ウォークマンにおいてはその命名者としても知られる河野透さんにお越しいただき、ソニーが持っていた発想力と弊社の技術の融合、そして盛田昭夫さんが提唱していた「マーケット・エデュケーション」によって導かれた、ものづくりをいかに外に知らしめていくのかということについて言葉を交わしました。

河野透氏 プロフィール

多摩美術大学デザイン科卒業。1968年、ソニーに入社。1996年からソニーマーケティング執行役員常務及び、コーポレートADセンター長を務める。2002年、ソニーPCL取締役副社長を経て、2006年にソニー退社。入社以来、商品コミュニケーション戦略、商品ブランド戦略、コーポレートブランド戦略を手がける。実践的な広告宣伝戦略から、CI、グローバルブランドマネジメントまでを統括。ウォークマンの開発メンバー、ネーミングは自身による。現在はOFFICE KOONOOを開設。ブランドの構造や事業の課題を通して、ブランドのRenovationやRe-formのコンサルティングを行なっている。

始まりはレコードから

河野:はじまりは中学時代、秋葉原に行く父親について行って、海外のスピーカーやアンプの音を聴いて衝撃を受けたことでした。「自分でもなんとかできないか?」と思って、家にあった古い電蓄をバラしてみたら真空管を発見して「一体これは何だ?」と思って、古本屋に行ってそれっぽい本や雑誌を大量に買って読み、アンプを作りはじめたんです。途中で3回くらい感電して白くなりました(笑)

並木:それは大変でしたね(笑)。やはりバラして作ってみないと仕組みもわからないし、再現しようとかどんどんのめり込んでいく感じですよね。

河野:そうなんです。ラジオや真空管アンプは作れても、レコード・プレイヤーだけは作れなかった。高価だったカートリッジや何やらをバイトしてひとつひとつ買い足していきました。

並木:そこからウォークマンの仕事に繋がるのはある種の必然だったのかもしれませんね。

河野:いや「なるべくして」というよりは、非常におもしろい縁だったのだと思います。オーブレーさんは、ウォークマンのモーターはもちろんですが、非常に多彩です。

並木:うちの強みとしては多様性があると思います。多様性のはじまりはレコードのカートリッジです。今でも私たちのものづくりの技術である「切る・削る・磨く」という加工技術を活用して、一ヶ月かけて髪の毛一本分の細さに加工するマイクロリッチ針というレコード針もあります。現在世界で一番高級なレコード針として使用されていますが、これは世界中でうちでしか作れません。これが作れるようになった技術も、軸受宝石から技術とアイディアを進めてきた結果であり、その後レコード針から色々な製品が生まれてきました。現在は人工ダイヤまでと幅広くやっていて、まだまだ皆さんに伝えきれていないこともたくさんあります。

河野:「振動を電気信号に変える」というところからモーターへ発展していったんですね。私としてはそこで腑に落ちたんです。

並木:そうでしたか。あまりそこを腑に落ちる方がいないんですよ(笑)。社内に小さなショールームがあって、お客さまに弊社の歴史をご紹介すると、みなさん「ウォークマン」の話にとても興味を持っていただけるんです。

河野:おぉ、そうですか。

並木:「ウォークマン」の中に弊社の「コアレスモーター」を使っていただいていました。そこにたまたま「NAMIKI」という社名を刻印をしていたんです。発売されて世界中で大騒ぎになって、どんな仕組みになっているのかと世界中の技術者が分解した時、世界が社名の刻印されたモーターを発見してくれました。

実はその後、そこから発展がありました。「こんなものが作れるのだったら」とアメリカのモトローラー社から問い合わせがあり、「病院の中で音を出さずに連絡が取り合える通信手段を作りたい」ということで作ったのが振動モーターでした。ページャーから携帯電話で使用されることになりました。振動=バイブレーションです。このバイブレーションの機能が生まれたのも、元を辿れば「ウォークマン」のモーターに起点があった。バイブレーションを日本が作ったということも知られていませんし、その背景には「ウォークマン」がいたというところももっと伝えていくべきだと思っています。

「マーケットエデュケーション」と技術の発達を導く「無理」

並木:伝えるということで言うと、日本人はやはりアピールが苦手なように思うのです。ものづくりは得意でも、「売る」ことに関しては職人気質でなかなか控えめな印象があります。どう思われますか?

河野:売ること全般が苦手ということではないと思うんです。特にソニーはコンシューマー・グッズで直接お客さんに買っていただくわけですから、リレーションはすごく大事ですよね。盛田(昭夫)さんが言っていたのは「マーケティングというのはマーケットエデュケーションだ」というんです。これは上からの目線の「啓蒙」ということではなく、利用価値を伝えていくことが、ある意味ではエデュケーションであると。しかもこれは「PR」ということではなく、「どうやって顧客を創造していくか?」という積み重ね。だから、僕らがやってきたのは、「広告」ではなくマーケットエデュケーションに近い発想でやってきたと思います。だから自分のやってきたことが「プロモーション」って言われると嫌な感じがするんです(笑)。

並木:「マーケットエデュケーション」という言葉を初めて聞きました。すごく興味があります。「こういう未体験な生活がひろがりますよ」とみなさんに提案をしてきたわけですよね。それは盛田さんが最初の頃から意識されていたことだったんですね。

河野:ソニーはトランジスタを開発したわけではなく、実用化は難しいと言われたトランジスタを小さく実用化していく過程でパーソナルなモバイルグッズを作りはじめたんです。それは小型化に伴う周辺技術で多難を極めた改良・応用技術なわけです。「真空管時代のものを小さくした」のは、ある意味では「発想・着眼点の勝利」でした。だから僕はソニーをハード・メーカーとは認識してなくて、どちらかと言うとソフト・メーカー。それを外向きに発信をしてこなかったところがあると思います。

並木:ソニーがソフト・メーカーというイメージはわたしもありませんでした。我々とは分野が違いますが、違うからこそ合わさった時により良いものができてきたのだなと改めて納得しました。

河野:以前ある部品製造大手の社長さんが「日本の部品メーカーがあるのはソニーの井深(大)さんのお陰だ」と言うわけですよ。小さくしたトランジスタを生かすために全てのパーツを「小さくしたい」という要求に応えて、コンデンサや抵抗など他の部品も小さくしなくてはいけなかったわけです。「オーダーに応えることで日本の偉大な電子産業を作ってきた」と。

並木:「小さくしてくれ」とは言葉としては簡単ですけど、誰も気がつかなかった、やらなかったことなんですよね。

河野:そうなんですよ。そこに応えてきたところに日本の底力があった。

並木:小さくしていくことにまさにうちも協力させていただいたわけですね。うちはお客様の要望を聞いてかたちにしていくことが得意ですが、最初は「無理」というところからはじまるんですね。でも、その無理なところから「どうやったらできるか」と考えて、工夫して、一筋の光を見つけて突き進んでいく。「そういうことを長い年月かけてこつこつ真面目にできるのが日本人のすごいところだなぁ」と。

「プレスマン」から「ウォークマン」へ

並木:79年にウォークマンが発売され熱狂を呼びましたが、その当時の日本や世界の反応はどんなものだったのでしょうか。

河野:79年時点で、オープンリールのテープ・レコーダーが生まれてから30年が経っていたわけですけど。カセットは非常に利便性があってポータブルでパーソナルな機器にどんどん入り込むひとつのメディアだったわけです。ラジカセブーム等でものすごく隆盛がありましたが、ラジカセはある時から飽和してきます。そこでテープ・レコーダーの事業部が危機感を持って「何かないか?」と考えていた時だったんです。ウォークマン以前の事業部は壁際族とさえ言われていましたから(笑)。

並木:そういう時代があったんですね(笑)。

河野:そこでマイク付きのポータブルなテープレコーダーを、「プレスマン」と僕らが名付けて発売しました。けっこう売れたんですが、井深さんから「飛行機で海外に行く時、いい音で聴けるものを作ってくれないか」と言われて、「プレスマン」を改造してステレオのヘッドをつけたんですね。それを井深さんが「これはいい!」となって、早速、盛田さんに「盛田くん、これすごいよ!」と見せた。ここに盛田さんがピンときて「これはモノになる」と。テープのハードが衰退していたタイミングで、録音機能もない“テープ・プレイヤー”を出したわけです。

当時製品名を考えていた僕らはプロモーションにかき集められて、改造版のプロトタイプから半年くらいで急遽仕立てて、試作品をマーケット側にプレゼンテーションするんだけれども総スカン。「テープが回れば録音ができる」と決まってるジャンルで、再生するだけのこんなものが売れるわけないと散々言われました。で、ここでマーケットエデュケーションです。僕らは、当時、すでに録音されたテープが全世界的に数億本になっているのに、そのほとんどは日常聴かれていないことに注目したんです。「新規の録音じゃなく、すでにあるものを聴くオーディオ機器のはじまりなんだ!」とデータを集めてプレゼンテーションしました。一生懸命ツールとして抱えながら、宣教師のように言っていくわけです(笑)。で、最後は問答無用でサッ!とヘッドフォンをかけてとにかく聴かせる(笑)。当時、ヘッドフォンをかけながら外を出歩くなんて、ある意味で奇異な風景でした。だから、そういうものを一般化、もしくは、「トレンドにしていくにはどうしたらいいか?」と考えて、自分たちで山手線の中でヘッドフォンをして何周もしていました。

並木:もう風景として刷り込ませるみたいな状態ですね。

河野:今日の話題として盛り上がるかなと思いお持ちしました。僕もびっくりしたんですけど、家を片付けていたら数日前に「ウォークマンⅡ 第1号保存用」と書いてあるシリアルナンバー「No. 1」の「ウォークマンⅡ」が未開封の箱入りで見つかったんです。

並木:うわー、すごいものが…!値段のつけられない貴重品ですね!

河野:なんで僕が持ってるのかわからないんですが、誰かが僕にくれたんじゃないかな。

——だとしたら盛田さんかもしれないですね。

河野:たぶんそうでしょうね。今日、せっかくだからと思って。

並木:まずみなさんに体験してもらうことで、目の色が変わっていく。いくらプレゼンしても誰にも聞いてもらえなかったことが体験することで変わる。そういったことが本質的なことで、本当に「伝わる」っていうことなんだろうなと思いますね。

突然変異としての「発想」と継続を生む「信頼」

並木:「発想」と「もの」というのが合わさって日本のものづくりが築かれてきたのだと実感いたしました。

河野:やはり「発想」は、ある種の「突然変異」で、そこがすごく大事なところだと思うんです。

並木:本当に「一人や一社じゃ、ものづくりはできない」ことを実感しました。自分たちでも新しい次のものをと一生懸命考えていたりしますが、やはりなかなか難しい。これまでずっとお客様から発想をいただいて、それを作り続けてきたわけで、この循環が日本のものづくりのコアなのかなぁと改めて思いました。発想が得意なところ、ものづくりが得意なところ、今後もこういったコラボレーションが必要だと感じます。

河野:ものづくりのなかにも発想っていうのは当然ありますよね。

並木:そうなんですね。無理だと思っていたものがクリアできる糸口が見えるのは、突然だったりします。やっぱりそれぞれが得意な分野を生かしていくことが必要だなと感じました。

河野:オーブレー内の研究者、開発者たちにとって発想を生むための方法論やきっかけなどがあったりするんですか?

並木:やはり発想のスタートはお客さまからいただいています。素材開発は研究者がどんどん世の中にない素材を生み出しています。最近では、人工ダイヤモンドという素材で世界で最大口径の基板を作りました。そうした例以外の多くはお客様の発想をかたちにしていくというのが強みだと思っています。

— 逆にお客様から声をかけられる存在であり続けるためには何が必要だと考えていますか?

並木:やはり信頼関係です。わたしはまだ入社三年、社長も二年目ですけれども、お客さまとお話ししたり。40年関係性が続いているというケースがよくあります。爆発的なヒットを出した時もあったが、今は事業としてはそれほど大きくない方もいます。それでもずっと信頼関係は続いている。それはとても強いと思います。これから世界の流れは大きく変わっていくと思いますが、この細く(時に太く)長い信頼関係を百年先も続けていったら、どこかで突然変異がポンッと出てきたりすることもあるでしょう。「つながっていたからこそこれができる」ということもあるんじゃないかと思います。

— 「最初は無理からはじまる」という言葉があったので、「無理を実現していく」ことが信頼関係につながっていくのだなと思いました。

並木:そうですね。その信頼関係のなかからお客様に選んでいただいて。その根本、中心にあるのは「世の中のためになるもの」「人のためになるもの」ということ。それがあることで循環しますよね。あとは口コミによる広がりは強いと思います。

河野:口コミはいつの時代も強いですね。

B to B企業がブランドとして伝えていくために

並木:河野さんはブランド戦略に精通されていますが、今回「アダマンド並木精密宝石会社」は「Orbray(オーブレー)」へと社名が変わります。我々規模のB to B企業がブランディングをするというのは前代未聞のことで。すごく反響もいただいています。実は実行に移すまでに、まず社員説明だけで一年かかっています。全員反対からのスタートでした。

河野:最初は社内の意識の転換からはじまって、そのあとに外向けにつくっていく。そういう順番がないと全社的な理解、要はエデュケーションにならないんですよね。「じゃあ、新しくしたから何か?」というと、それはこれからの実績になっていく。ブランドは、積み重ねです。名前をつけたらブランドではなく、続いてこそ「ブランド」になれる。

——BtoBのものづくりの会社は国内外にたくさんあります。「前代未聞」という言葉も出てきましたが、そもそもこういう会社にとってブランディングというのは必要だと思いますか。

河野:「必要ない」ということはありません。じゃあ「絶対やらなきゃならないか」ということも言い切れないと思う。これは会社、企業の姿勢、例えば業態が変化して従来の事業の枠組みではかえって誤解されるなど、企業の意思でしかないんですよね。だから、社内・社外共に、受けるほうもそういう姿勢を受けとるわけです。Orbrayは今まさにそのタイミングなのでしょう。日本のものづくり企業がここまできたのは、それを製品化したメーカーが健全にあったということなんでしょうね。ところが今はそこが中国や韓国をはじめ日本以外の各地にどんどん散らばってしまっています。

並木:我々も「日本のものづくりを世界に向けて」という思いがあります。河野さんがおっしゃっていたように、企業の姿勢がやはり変わる根本にあるなと改めて思いました。創業者の名前「並木」が入った名称を変えるのは、私の思い描くこの会社のあり様が、オーナー企業でオーナーの下に社員さんたちがいるというイメージではなく、会社も一つの生命体だと考えて、そのなかにいる一人一人が輝くことで光の道を進んでいくというイメージだからです。なんとなく思っていたことがお話を伺ううちによく見えてきました。ありがとうございます。

本質を知る人たちに伝える

並木:「プレスマン」にも「ウォークマン」にも当社のモーターを入れさせていただいています。先程、「プレスマンという名称は海外では通じなかった」とおしゃっていました。「プレスマン」から「ウォークマン」という名称に変えたことで、何か海外からは反響はあったのでしょうか。

河野:僕が「ウォークマン」という名前をつけたんですが、最初は「WALKIE(ウォーキー)」だったんです。なぜ「ウォーキー」にしたかというと、「A」が入るんですよね。最初のロゴに足が書かれていたと思いますが、「A」にその足をつけたかったんです。足をつけてアウトドア性を出したかった。そうしたら「ウォーキー」は東芝さんがすでに商標登録していたんです。「困ったなぁ」と。どうしても僕は足をつけたかったので、今思えば陳腐だったんですけど、前身が「プレスマン」だったから、「ウォーキーと融合しちゃえ」と思って「ウォークマン」という摩訶不思議な和製英語のネーミングを考えたんです。当然海外では通じないので、各国のソニーはそれぞれの名前を付けることになりました。アメリカは「Soundabout(サウンドアバウト)」、イギリスが「Stowaway(ストワウェイ=密航者)」で、北欧は「Freestyle」。

発売されてから、盛田さんが小澤征爾さんが音楽監督を務めていたボストン交響楽団の方たちをはじめ音楽関係の方々にウォークマンをプレゼントしていました。そうするとボストン交響楽団の周囲の耳の肥えた音楽関係者たちが「それはなんだ?」ということになって「Walkman」「Walkman」という言葉が飛び交い、その名前が現地の名前よりも早く伝染しちゃったんですね。ある時、盛田さんが「もう『Walkman』に統一しよう」と。鶴の一声ですね。盛田さんの勘の鋭さでもあるわけです。

並木:ボストン交響楽団という音楽の本質を知っている人たちに伝わったというのもポイントだったんでしょうね。

河野:まさに。当時、理解してくれる人たちはミュージシャンだったんです。

並木:今でいういわゆる「インフルエンサー」みたいな。

河野:自分たちは意図したわけではないんです、実はね。結果的にそうなったことによって、「ああ、そういう効果があるんだな」と。

ものづくりを世界へ

並木:これからもっと日本のものづくりを世界へ向けてPRしていきたいと考えています。グローバルに向けて日本のものづくりを広めていく時に何かヒントがあればと思っています。

河野:これはなかなか難しいことです。オーブレーさんのお仕事を拝見していたら、こちらで事業化しているものは一種の製品にとっての「基幹システムサポーター」的なものですよね。

並木:たしかに見えないところで支える、ものづくりを支えているという自負はあります。

河野:重要なのに、なかなか日が当たらないわけですよね。これは部品メーカーはどこもそうだと思うんです。スイスのバーゼルで行われる時計の見本市は世界一の逸品が集まりますが、例えばそこで何かプレゼンテーションをされるのもいいかもしれません。そこに集まる時計の中に私たちの製品が使われているという情報を川上に渡せれば、あとは全世界レベルで会話が飛んでいく時代です。そこからの作用はお任せしたほうがいいんだと思います。通信機器や宇宙産業まで、戦略的に場を選んでいくことは有効かと思います。自前でその作用を作ろうとすると、墓穴を掘ってしまう可能性もありますから。先程口コミが大事とおっしゃっていたように、今は広告の時代じゃないですから。

——ウォークマンのような、みんなが言いたくなるエピソードを伝える場を持つということですね。いろいろなヒントをたくさん頂いたなと思います。ありがとうございました。

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